変貌するブランディング

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論文 - 脱成長時代のブランディング - ブランド・サステナビリティ、あるいは、ブランド・トランスフォーメーションに関する考察 -

概要
 近代資本主義の発展は、19世紀後半のアメリカに観られる「囲い込み」を契機とした、私有財産の拡張の歴史であり、同時に二酸化炭素排出の拡大、天然資源消費拡大の歴史でもある。
 また、19世紀末からはナショナルブランドが生まれ、大量生産、大量消費の時代に突入する。第二次大戦後は、大量生産に伴う労働問題も頻出しながら、経済格差は今も拡がりつつある。
 ブランド研究は、1950年代にブランド・イメージ、ブランド・ロイヤルティ、1980年代から90年代にかけては、ブランド・エクイティ、1990年代後半からは、ブランド・アイデンティティが注目された。
 一方、環境、人権等の観点から、ブランド商品の価値や生産過程について、識者、市民からの批判もある。また、パリ協定、SDGsなど、環境、人権等の諸問題改善の目標が提示されているものの、その効果についての懸念もある。
 21世紀のブランドは、2007年を節目として、ブランド価値共創の時代となり、2015年からはブランド・サステナビリティの時代へ変遷している。今後は、経済成長を所与としない「脱成長」志向のブランディングを積極的に考察及び推進していく必要があるだろう。

 

キーワード
 温暖化対策、CO2削減、コミュニズム、SDGSs、ブランドランキング、エシカルファッション

 

Ⅰ.はじめに
 そもそも、いいブランドとは何だろうか。ブランドランキングではGAFAM(GoogleAppleFacebookAmazonMicrosoft)に代表される企業群が上位を占める。それでは、ブランド、ブランディングの目指すところはGAFAMなのだろうか?
 そういった企業から提供される商品やサービスは我々の生活を豊かにしてきたように見える。ただし、そういった製品に囲まれた生活は本当に幸せなのだろうか。論理ではなく、自らの体感としてどうだろう。
 一方で、日本を含め、多くの国の企業活動や商品は、地球の温暖化、環境汚染、資源濫用、労働者の人権侵害、エネルギーの大量消費などを招いてきた。
また、マーケティング、ブランド、ブランディングなどの研究や原理、実際の諸活動は、そのような企業活動のアクセル役になっていたのではないだろうか。
 この小論は、筆者自身の反省も含め、このような問題提起に基づく論考である。

 

Ⅱ.近代ブランド理論の背景-資本主義の拡張と影
1.    シェーン、エンクロージャー、ブランド
 映画「シェーン」(1953)は、近代資本主義の始まり(19世紀半ばのアメリカ)における私有財産とブランドの結びつきの過程をよく描いている(内田,2020)。
 カウボーイたちは、ブランドの起源とされる焼き印のついた牛を放牧して暮らしていた。一方、あとから移住してきた農民たちは、ホームステッド法に基づいた「囲い込み」(エンクロージャー)を行ったため争いが起きる。結果的に農民たちは、流れ者であるシェーンの力を借りて勝利する。
 言い換えれば、これは土地や水などの共有財産を基盤にしていた古い社会(共産主義社会)が、私有財産を基盤とする新しい社会(資本主義社会)に敗れた物語である。
 また、cattle(牛=資産)-brand(ブランド)-enclosure(囲い込み)-capital(資本、なおcattleとcapitalは同じ語源と言われている)が、地続きになっていく過程の物語であり、私有財産を守り始めた農民勢力が、ブランド(焼き印)を使うカウボーイたちを取り込んでいく物語とも読める(図1)。

図1:鉄条網で農民の「囲い込み」を手伝うシェーン ©パラマウント映画

2.    カーボンフットプリントとマテリアルフットプリント
 併せて、19世紀半ばから現代までの二酸化炭素排出量と地球資源の使用量を確認しておきたい。1850年には年間約2億トンの排出にすぎなかった二酸化炭素は、1900年には約20億トン、第二次大戦の終結以降急上昇に転じ、1970年代には約148億トン、直近2018年では年間364億トンの排出であると推計されている(図2)。
 「シェーン」で描かれた時代は、近代資本主義の始まりであると同時に、過剰な二酸化炭素排出の始まりでもあることがわかる。
 

図2

 また、斎藤(2020)は、「環境学者トーマス・ヴィートマンらの研究は、国際貿易による影響の補正を行って、マテリアル・フットプリント(MF)を計算」しており、「この研究によれば、(中略)各国のMFは実質GDPとほぼ同じ割合で増大していることが判明する」ことを紹介している。「MFとは消費された天然資源を示す指標」であり、1990年以降でも、各国の天然資源消費が急上昇していることがわかる(図3)。
 

図3 出典:The material footprint of nations (2013)より一部抜粋 凡例: MF: Material Footprint DMC: Domestic Material Consumption GDP: Gross Domestic Product


3.    経済格差と人権問題
 近代のブランドの形跡をたどると、青木(2011)によれば、「全国ブランド(national brand)の登場は、米国のマーケティング史上での一大画期」であり、「19世紀末輸送や通信などのインフラが整備され、地域ごとに分断されていた市場が全国市場へと統合されていく中、標準化された製品を全国市場に向けて大量に流通させるための手段がブランド(及びブランディング)であった」という。こうして、ブランド、ブランディングという手法が確立されていく。それ以降、20世紀はブランドの時代となっていく。生産/消費の規模の拡大が一気に進む中、第二次大戦後は経済格差が拡大し、資本家たちに酷使される労働者やグローバルサウスという問題も浮上してくる。
 コスト効率を優先した生産の外部化により、グローバスサウスと呼ばれる生産拠点での労働者は劣悪な環境での労働を余儀なくされてきた。クラインは、「NO LOGO(邦題:ブランドなんか、いらない, 2001)」において、世界の有名ブランドの悪辣な「秘密」を明らかにするとともに、有名ブランドとして君臨する多国籍企業への反企業活動を紹介した。
 また、ピケティ(2014)が示したように、世界各国で富の格差は拡大しつつある。特にアメリカ社会での格差は著しく大きいとされている。大澤(2021)によれば、「FRB連邦準備制度理事会)がまとめたデータによると、2020年の上半期の段階で、アメリカ社会の格差は、上位50人の金持ちの資産額の合計が下位半分(約1億6500万人)の資産の総額とほぼ等しくなるところまで来ている」という。 
 貧富の格差を表す指標のひとつであるジニ係数(大きいほど格差が大きい)の各国推移をみてみると、主要先進国は概ね上昇傾向にある(図4)。2017年の日本のジニ係数は0.3721であり、上昇傾向が続いているとともに、他国と比較しても高い水準にあることがわかる。
 このように、第二次大戦後GDPの拡大とともに、二酸化炭素排出量の急増、天然資源の消費拡大、経済格差拡大、グローバルサウスに象徴される労働問題が噴出するなか、ブランド研究の進化が重なり合ってくる。
 

図4:日本:2017年ジニ係数0.3721 ※ジニ係数:大きいほど格差が大きい

 

Ⅲ.ブランド理論の発展と懐疑
 ここでは、主に20世紀のブランド研究の流れを概観したい。
1.ブランド・イメージとブランド・ロイヤルティ
 青木(2011)によれば、ブランド研究の歴史は意外に新しく、1950年代のふたつの論文がその先駆けとなったという。「1つは、いち早く製品とブランドとの違いを明確に区別し、ブランドの育成を長期的な投資として位置づけたGardner and Levy (1955)の論文であり、もう1つは、パネル調査データの分析を通して、ブランド・ロイヤルティの存在とその重要性を指摘したCunningham(1956)の論文である」。そして「いずれの研究も、後のブランド・イメージ研究やブランド・ロイヤルティ研究に影響を与える出発点となった」とされている。
2.ブランド・エクイティ
 前述のように、1950年代にブランド・イメージやブランド・ロイヤルティが研究され始めたものの、「ブランドのイメージやロイヤルティについての研究は別個に行われる傾向が強く、ブランドに対する認識も断片的なものであった」という。また「マーケティングの手段」としてブランドを捉えるのが一般的であった」とされている(青木, 2011)。
 これに対して、「新たに登場したエクイティ論のユニークさは、様々なマーケティング活動の結果として、ブランドという「器」の中に蓄積されていく資産的な価値に着目し、その維持・強化と活用の仕方を提案した点であった」という(青木, 2011)。
 また、「ブランド・エクイティという用語自体は、既に1980年代の初めには使われ始めていたが(中略)、その議論を整理・体系化する形で登場したのが、Aakerの著書”Managing Brand Equity”(邦題「ブランド・エクイティ戦略」)であり、これによりブランド・エクイティという考え方が幅広く認識されるようになった」という(青木、2011)。
3.ブランド・アイデンティティ
 1990年代の半ばを過ぎると、ブランドに資産的価値があることを十分に認めた上で、その価値を維持・強化するための具体的な方法論や枠組みづくりが論議され、「強いブランドとは何か」という本質的命題が強く意識され始めた。そこで新たに提示された概念が「ブランド・アイデンティティ」であった。
 ブランド・ロイヤルティやブランド・イメージが、「どのように知覚されているか」という結果論とは異なり、ブランド・アイデンティティは、「どのように知覚されたいか」という目標ないし、理想像として捉えるべきものとして考えられた(青木, 2011)。
 この時期、日本でもある種のブランド・アイデンティティブームとなったが、産業界では、コーポレート・アイデンティティ(CI)、ヴィジュアル・アイデンティティ(VI)と呼ばれることが多く、特にロゴマークロゴタイプなどの刷新が盛んであった。
4.ブランド評価
 一方、ブランドを「評価」する手法が登場し始めたのもこの時期である。カンター社のブランド評価手法であるBRANDZが登場したのが1998年、インターブランド社のBest Global Brandsの発表が行われ始めたのが2001年とされている。
 カンター社では意義性(Meaningful)、差別性(Different)、想起性(Salient)の3項目で、インターブランド社では、Leadership、Engagement、Relevanceの3カテゴリー(10項目)で評価を実施している。評価手法に違いはあるものの、両社ともにブランド・エクイティの考え方を基本として、「ブランド資産額」を算出するという方法を採用している。
 また、インターブランド社と同様にカンター社は、Most Valuable Global Brandsをランキング形式で毎年発表している。これら「ランキング」は発表そのものが両社のPR活動、営業活動の一環であることは明らかであるが、ブランド価値を「金額」換算という手法で表現すること、また、ブランド力に順位づけを行うという視点を定着させた。

 

Ⅳ.ブランド資本主義批判
 前述のように、近代のブランド概念は大量生産/大量消費経済を支援する手法として機能してきたが、同時に社会学者や経済学者によって、ブランド商品の製造過程や広告手法などは批判の対象となった。
 1997年当時のジャカルタ郊外のカワサン・ペリカト・ヌサンタール工業地区にあるカホ・インダ・チトラ衣料品工場でのストライキを取材したクライン(2001)は「アメリカドルに換算して日給2ドルしかもらえないカホの労働者の問題は、長時間の残業を強いられ、法定最低賃金さえ支払われていないこと」など、多くのフィールドワークを通じて情報収集を重ね、ブランドがもたらすダークサイドを強く糾弾した。
 斎藤は、「人新世の「資本論」」(2020)のなかで、資本主義と地球環境保全の共存は不可能であると説明した上で、その解決策のひとつとして、経済における使用価値の復権を提唱している。そのなかで、ブランドとは「相対的希少性」を生み出すものにすぎず、商品の使用価値(機能的な価値)から見れば、「ロレックスもカシオもまったく変わらない」と指摘する。また、ブランドの「相対的希少性は終わりなき競争」を生み、「消費者の理想はけっして実現されない」とも強調する。
 「しかも、この無意味なブランド化や広告にかかるコストはとてつもなく大きい。マーケティング産業は、食料とエネルギーに次いで世界第三の産業になっている」と指摘した上で、脱成長社会への足掛かりのひとつとして、ブランディングなどの仕事とは対極にあるエッセンシャル・ワークを重視すべきであるとも主張する。
 また、労働市場においても「現在高給をとっている職業として、マーケティングや広告、コンサルティング、そして金融業や保険業などがあるが、こうした仕事は重要そうに見えるものの、実は社会の再生産そのものには、ほとんど役に立っていない」と述べるとともに、デヴィッド・グレーバーの表現を引用し、それらの仕事は社会にとって無意味な「ブルシット・ジョブ(クソくだらない仕事)」であると述べている(斎藤, 2020)。
 ただし、ブランドの持つ役割がすべて無意味であるとすると、モノやサービスの背後にある哲学や概念、商品のデザインなどの象徴価値(感情的な価値や感覚的な価値)はどのように解釈すればよいのか。このことについての検討は別の機会に譲ることにしたいが、いずれにせよ、誰もが善として疑わなかった「経済成長」を支えてきたブランド理論やブランディング活動に大きな異議が投げかけられていることは注視すべきであろう。

 

Ⅴ.SDGsブランディングの救世主?
 GAFAMを中心に環境問題、特に地球温暖化対応策も続々と表明されつつある。
 Googleは、2020年9月14日、創業した1998年からカーボンニュートラルを達成した2007年までに排出した「カーボンレガシー(二酸化炭素排出量の遺産)」をすべてオフセットし、ゼロにしたと発表。さらに、2030年までに世界の事業所やデータセンターなどで使われる電力を、二酸化炭素を排出しない「カーボンフリー」エネルギーに完全に切り替えると表明した。
 また、2015年の国連発表以降、多くの企業や自治体がSDGs(Sustainable Development Goals)対策を計画、実行に移し始めているが、斎藤(2020)は、かつてマルクスが、宗教を「大衆のアヘン」と批判したことに倣い、SDGsも「大衆のアヘン」にすぎないと指摘する。エコバッグを買ったり、マイボトルを持ち歩いたり、ハイブリッドカーに乗るのも、「その善意は有害でさえある」という。なぜならば「温暖化対策をしていると思い込むことで、真に必要とされているもっと大胆なアクションを起こさなくなってしまうからだ」という。そういった消費行動は「免罪符」として機能するだけであり、政府や企業にとって「SDGsはアリバイ作りのようなものであり、目下の危機から目を背けさせる効果しかない」と批判する。

 

Ⅵ.ブランドが向かうべき方向性
 ここまで、アウトラインながら、資本主義の発展に伴う地球環境の変化や労働問題とともにブランド理論の変遷をみてきた。
 おさらいするならば、マーケティングブランディングに関する研究や理論は、資本主義の発展に寄与してきたものの、産業革命後の資本の個人所有を一層促進させ、その結果として、地球環境の悪化を招いたという側面を持つ。
 ナショナルブランドの大量生産や大量運輸は地球資源の大量消費や温暖化を促進し、コストダウンを目指した仕事はグローバルサウスへ外部化することで、強制労働や労働問題を引き起こすなど、マーケティングブランディングは、世界各地で貧富の差の拡大を助長するアクセル役を果たしてしまったように思われる。少なく見積もっても、その責任の一端を担ってきたのではないか、ということである。
 それが事実ならば、マーケティングブランディングは、グレーバーの表現のように「ブルシット・ジョブ」(クソくだらない仕事)だといえるだろう。
 少なくとも、今までの経済成長=善という前提に基づいたブランド理論を疑うことなく受け入れ、ブランドランキングに一喜一憂するという楽観的なあり方は、終焉すべき頃に差し掛かっているのではないかというのが、この小論での筆者の現状認識である。
そのような認識を踏まえ、これからのブランド理論、ブランディングのあり方の方向性を整理してみたい。まず、青木(2011)が描いた「ブランディング概念の変遷」を下地にしつつ、筆者の考えを次のように反映させてみた(図5)。
 

図5:ブランド概念の変遷 青木(2011)に基づき、着色部分を筆者加筆

1.21世紀のブランド概念の変遷(フェーズ4)
 まず、フェーズ1~3までの20世紀の「ブランド」は、基本的に企業側でのコントロール下にあったといえる。ブランド・イメージやロイヤルティ、ブランド・エクイティ、ブランド・アイデンティティとブランド概念の軸足が変化しつつあっても、それはあくまで企業側が展開するマーケティング活動の手段や結果や起点であった。
 これに対して、「2000年以降に展開されたブランド論は(中略)ブランド価値の構造や顧客との関係性のあり方を問う議論へと変化」し、「ブランド・エクスペリエンス」(ブランドの経験的価値)や「ブランド・リレーションシップ」(顧客とブランドとの関係)が、ブランド研究の新たな視点としてクローズ・アップされ始めたと、青木(2013)は説明する。
 その契機は、①製品・サービスのコモディティ化、②インターネットの急速な普及、③ソーシャル・メディアの台頭などであり、青木(2013)は、「間違いなくブランド論は更に新たな段階に入りつつある」とも指摘しており、共感できる。
 そして、21世紀のブランド概念の最初の節目(フェーズ4)は、2007年から始まるものと考えた。
 これは、スマートフォンの登場を念頭においた。この年はApple社のiPhoneの発売が始まった年であり、人々にとってインターネットがより身近になり、SNS等の利用も一気に加速した。また、Google社のOSであるAndroidを搭載したスマートフォンも2008年から発売されている。
 フェーズ4におけるブランドコンセプトは「ブランド価値共創」と表した。これは、和田(2002)の「ブランド価値形成のインタラクション・モデル」やMertzらが名付けたものを踏襲した。また、岩林(2019)が提起した「コ・ブランディング・モデル(co-branding model)」とほぼ同様の考え方であり(図6)、インターネット等を通じての企業とステークホルダー(生活者、従業員、取引先等)のインタラクションによって、ブランド形成が共創される時代になっているという主旨である。
 また、フェーズ4におけるブランド概念は、単に売上や利益拡大を目指す「マーケティングの起点」を超えて、社会貢献、従業員責任、サプライヤー責任などを含んだ企業全般の活動を起動する「マネジメントの起点」に到達しているものと整理してみた。
 

図6

2.21世紀のブランド概念の変遷(フェーズ5)
 21世紀に入り、テロ、リーマンショック、日本においては東日本大震災を経験してきたが、21世紀初頭の20年はBRICs各国がけん引する形でさらなる経済成長を遂げている。2010年には、中国のGDPは日本を抜いて世界2位となった。アメリカでは、前世紀後半から21世紀初頭に生まれたGAFAMの台頭がさらに顕著となった。
 一方で、世界は、地球環境保護、特に温暖化や激化する自然災害などをもたらす気候変動の要因とされる温室効果ガス削減の必要性に直面している。2015年、パリにおいて開催された「国連気候変動枠組条約第21回締約国会議(COP21)」で、温暖化対策の新たな法的枠組みとなる「パリ協定」が採択され、翌2016年に発効されるに至った。
 同2015年、国連サミットではMDGsミレニアム開発目標)の後継として、SDGs(Sustainable Development Goals)が採択され、2030年までに持続可能でよりよい世界を目指す国際目標として、17のゴール、169のターゲットが設定された。
 これらによって、人権、豊かさ、地球環境保全、平和について、改めて見直す機運が世界的に高まり、企業経営もこれらに積極的に関わっていくことが必要となり、GAFAMを始め、多くの日本企業も環境対策やSDGs対策を表明している。
 一方、企業や個人のSDGs対策は「アリバイ作り」に過ぎず、経済成長と地球環境の保全は、相容れないと強調する「脱成長コミュニズム」の考え方(斎藤, 2020)は、注目に値する。
 このように複雑化する時代のブランドとは、どのように構築すべきなのか。
 まず、パリ協定とSDGsが採択された2015年をフェーズ5の始まりと考えた。
 現在、市民や社会からも地球環境保全や人権保護、経済格差是正に関する要請が強まっていることは、誰もが合意できるものであろう。
 そのような前提のもとでは、企業の成長を支えるためのブランディング、マネジメントの起点であるブランディングでは、市民や社会の要請に応えることはできず、さらに一歩進んで、「社会的存在の起点」としてのブランドへと軸足を移行することが必要ではないかと考える。
 特に、フェーズ4までと大きく異なるのは、フェーズ5におけるブランドの捉え方は「脱成長」さえ許容するという視点である。地球環境、天然資源の存続のためには、企業は大量生産・大量消費体制を終わらせる必要がある。また、化石燃料、鉱物、金属などの資源使用の削減を図り、労働時間を削減し、電力使用を削減する。また、商品の過剰なパッケージ、購買意欲を刺激する広告、顧客との過剰なコミュニケーションもやめる、あるいは大きく削減する必要があるだろう。
 従来の経済成長を前提としたブランドビジョンとは異なり、成長を望まない顧客や広く社会の要請を受け入れたうえでの新たなブランドビジョンを再構築することも想定する必要があるだろう。
 フェーズ5におけるブランドとは、そのような「脱成長」をも許容しながら長期にわたって持続していく「社会的存在の起点」である。そういったブランドのあり方を「ブランド・サステナビリティ」と呼ぶことにしたい。
 近年注目されている「パーパス」(社会的存在意義)をベースにした「パーパスブランディング」との違いは、地球環境保全のためには、ビジネスのダウンサイジングさえ許容することであり、金額換算のブランドランキング競争から抜け出すことであり、ブランドをマーケティング=成長の呪縛から解放することである。いうなれば、「ブランドの独立宣言」である。昨今、ブランド・トランスフォーメーションということばもネット上などで散見されるが、ブランドはマーケティングの一部、あるいは支援するものという考え方から抜け出し、「脱成長」的戦略や活動を受け入れる。この発想の転換こそ、真の「ブランド・トランスフォーメーション」であると捉えたい(図7)。
 

図7:岩林(2019)図6をもとに改訂

Ⅶ.改めて、いいブランドとは何か
 この論考は、斎藤(2020)の「脱成長コミュニズム」という提言を大きく参考としている。
 確かに20世紀以降の資本主義体制は世界の多くの国にとって「正しい選択」のように思われた。しかし、一方で、環境、資源、人権、所得格差、エネルギー等、様々な問題が世界中で噴出している。斎藤がいうように「資本主義が崩壊するよりも前に地球が人類の住めない場所になっている」というのは、もはやSFではないところまで来ている。頭では理解しているものの、その崩壊は「明日ではないだろう」と先延ばししているにすぎない。
 そんな時に「ブランディングの時代」「GAFAMはすごい」などと、ある意味、呑気なことを言っていていいのかというところが、この論考のスタートであった。
広告関連ビジネスに長い間関与してきた我々も地球資源の浪費に加担し、メディア企業と共に広告ビジネスの囲い込みによって相対的に高収入を得てきた。商品をより多く買わせるために、刺激的な広告を作り、宣伝費が上乗せされた商品を消費者に買わせることで、ビジネスを成立させ、成長してきた。こういった今までの仕事を顧みるためにも、この論考はいい機会だと考えた。
 たしかにマーケティングはmarket+ingであるように、市場を作るための原理と体系であり、ブランド、ブランディングという考え方も、多かれ少なかれマーケティングと共存してきた。また、付帯してマーケティングブランディングを推進するための実行役を広告代理店やブランドコンサルティングファームなどが務めてきた。その役柄や職務そのものに大きな疑念を抱いていなかったのも現実であろう。

 最後に、提言を含め、この論考の主旨を整理したい。

(1)ブランドは商品やサービスの峻別としては今後も存続する。ただし、マーケティング(成長を前提とした市場形成)との分離について、より強く検討すべきであろう。
(2)根本的にはマーケティングそのものの概念の見直しが必要であり、その名称も改めて検討してみるのはどうか。現状に即するならば、サステイニング(sustaining)、シュリンキング(shrinking)、ダウンサイジング(downsizing)など、持続のための原理、縮小しても企業や労働者が生きていける仕組み、地球の存続や地域社会に貢献できる仕組みを追及する原理や体系づくりを積極的に進める必要があるだろう。
(3)そのため、これからのブランドの概念は、ブランド・サステナビリティ(ブランド持続可能性、上述フェーズ5)のような考え方が適当であり、それは、ブランド認知の向上、ブランドのマインドシェアの向上、過剰な象徴的付加価値の付与、企業側が望むイメージの刷り込みとは、相反する場合があることを認識する必要がある。
(4)ブランド、ブランディングの意義を改めて見直すことも必要であろう。少なくともブランドの「社会的意味」を改めて整理、提示していく必要があるものと考える。その時の「社会的意味」とは、環境、資源、エネルギー、労働者やサプライヤーの人権、地域貢献等を十分考慮しながら、地域、社会、産業のなかでの位置づけを問い直すものになるであろう。
(5)コンサルティングファームなどによる金額換算ベースのブランド評価やブランドランキングは、評価手法のひとつではあるが、社会的な存在意義やサステナビリティの視点を基軸とした新たな評価方法を考察する必要があるだろう。その場合、ランキングといった競争的視点は排除すべきであろう。
(6)同時に、これからのブランディング活動においては、大量消費を誘導するような広告の削減、購買意欲をいたずらに刺激する販促施策の削減も、積極的に許容していく必要がある。

 

Ⅷ.おわりに
 以上、多くの部分において、今までの我々の仕事やそれを実現していた前提を否定しかねない考え方をやや乱暴ながら提示してみた。こういった考えを今のビジネス界にフィットさせていくことは、大きなチャレンジではあるが、少なくともブランドに関する思考の転換こそが、本当の意味でのブランド・トランスフォーメーション=ブランドの変革であると考える。
 また、前述したが、ブランディングと関係の深いマーケティング(market-ing)も併せてその根本を見直す時機に差し掛かっていると考えられる。成長志向に縛られた”-ing”的思考に安易に同乗することは、次の世代の負の遺産となりかねない。ブランディングに携わる身として、改めて「ブランド」の意義を問い直すことは、大きな意味があるものと考える。


引用文献
青木幸弘(2011).「ブランド研究における近年の展開-価値と関係性の問題を中心に-」
青木幸弘(2013).「「ブランド価値共創」研究の視点と枠組-S-Dロジックの観点からみたブランド研究の整理と展望-」
岩林誠(2019).「ブランドストームと共ブランディングモデル-ブランディング構造の多様性と変化について-」
内田樹(2020).『コモンの再生』文藝春秋
大澤真幸(2021).『新世紀のコミュニズムへ 資本主義の内からの脱出』NHK出版
斎藤幸平(2020).『人新世の「資本論」』集英社
トマ・ピケティ(2014).『21世紀の資本
ナオミ・クライン(2001).『ブランドなんか、いらない 搾取で巨大化する大企業の非情』はまの出版
和田充夫(2002).『ブランド価値共創』同文舘出版
Thomas O.Wiedmanna, Heinz Schandl, Manfred Lenzen, Daniel Moran, Sangwon Suh, James West, Keiichiro Kanemoto(2013). The material footprint of nations, Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America

 

※なお、この論文は、2021年「日本ブランド経営学会」向けに書かれたものです。